こんにちは、心理カウンセラー諏訪田(すわだ)佳代です。
こんな物語があったとしましょう。
『職場や学校など外で
誰かといる時は、
笑顔で元気に明るく
場が盛り上がるように
終始周りに気を使い、
いい人と言われるけども
本当は生きづらくて苦しい。
本当は辛いのだけど、
辛いことを他者には言いたくない
知られたくない、
だから誰にも言わず
なんとかやっているけど、
そうした時間の経過に伴い、
なんだか虚構の自分を
演じるのも疲れたてきた。
出口のないトンネルにいるようで
もうどうしたらいいのか
分からない。 』
こうした苦しさは
常に相手にどう思われているのか
気になって、
相手に不快な思いを
させていないかや
相手に評価されているか、
もしそうでないなら
自分の存在が
必要とされていないみたいで
それは恐ろしくなんとか避けたい
そうした苦しさも
あるかもしれません。
この記事では、
周りからいい人と褒められ、
明るく生きているけど
本当は生きづらさを感じている
そんな心の状態は
心理学的にはどんな状態なのか、
どうしたら生きづらさから
抜けていけるのかを
順を追ってお伝えしていきます。
Contents
助けて言うのは恥ずかしことじゃない
人の心に普通はない
なんか生きづらいかなと思う時
自分は周りと違って
普通じゃないのかなと
感じるかもしれませんが、
そもそも人の心には
普通はありません。
心には健康な部分と
脆弱な部分がありますが、
脆弱な部分には幾つか種類があり、
その色合い、その模様が
人それぞれに異なります。
私たちが生きづらさを感じるのは
脆弱な部分から
きているものですが、
脆弱な部分は時に
現実の世界で
頑なさをもたらすことがあります。
どういうことでしょうか?
例えば、職場で
常に相手の要望に合わせ
ちょっとキツいなと思うことでも
やりますと引き受け、
苦しくても誰にも助けを求めない、
という状況があったとしましょう。
誰かに助けてといえたら
負荷が減るのですが、
助けてと言うことは、
できない人になるみたいで、
それは価値がなくなるようで
負けてるような感じで、
だから苦しくても
助けを求めないという
そんな頑なさがある場合、
この頑なさは、
過去にどこかで感じた
恥ずかしいという
体験と関係がある
かもしれません。
過去になにかしら
恥ずかしいさを
感じた体験があって
もし他者に助けを求めると
その恥ずかしさを
再び感じることに
つながるため
どうしても避けたいというのも
あるかもしれません。
大変で苦しい時
他者の助けを得れるといいのですが、
過去に他者との関係で
恥ずかしい思いをしたことから
他者を求めないという
ループに入り、苦しみがより
深くなることもあります。
助けを求めないのは無意識に負けている
先ほど、
誰の心にも健康な部分と
脆弱な部分があることを
お伝えしましたが、
次に、脆弱な部分に存在する
自分を攻撃してくる
心の存在について
見ていきましょう。
それは、正確に言うと、
攻撃する側と
攻撃される側が
1つのユニットになって
心に存在しています。
例えば、上司の期待通りに
仕事ができていないと感じると
自分はできない
ダメな人に感じるという
出来事があったとしましょう。
こうした職場などでの
現実での出来事に
心の中の世界が
そのまま映し出されます。
どういうことかというと、
先ほどの例では
上司の側は、
特に仕事の出来について
何も不満を持っていないかも
しれないし、
むしろよくやっていると
思っているかもしれないのですが、
自分の心の中の攻撃する側が、
もっと上手くできないとダメだと
期待に応えられていないと
上司があたかもそう
評価しているかのように
自分に感じさせます。
そのため、
攻撃したり、見下したりする側と
攻撃されたり
見下される側という
内的ユニットの存在の
色合いが濃い場合、
現実世界で、
過度に自分をできないと感じ
他者に助けを求めることにも
恥ずかしさや痛みがあり、
簡単でないことがあります。
そうした時、
頭でだけでも
あ、これは外の世界の人や
自分の周りの人が
できないと自分のことを
言っているのではなく、
私の心の中のユニットの
攻撃してくる側が
私に価値のなさや
恥ずかしさを
感じさせようとしてるんだと、
理屈ででも捉えられると、
少しは動きやすくなる
かもしれません。
いい人や周囲に気を使う人を苦しめるグレートマザー
ここまでで、
人の心は誰の心にも
健康な部分、脆弱な部分があり、
人の心には普通はないこと、
そして、脆弱な部分の1つに
自分を攻撃してくる
存在が心の中にあり、
それはユニット(ペア)に
なっていて、
攻撃する側と
攻撃される側があり
この心の存在が、頑なに
他者に助けを求めることを
阻むところまでお伝えしました。
次に、この生きづらさの
根本にあるものを
ユング派の概念を
用いて見ていきましょう
こうした生きづらさの
根っこに存在し、
それは目に見えないけども
四六時中私たちの生活に
影響を及ぼしている
元型という存在があることを
ここからお伝えしていきます。
意識と無意識があるのは
みなさんご存知と思いますが、
無意識にはさらに
2つに分けられ
個人の無意識と
個人の無意識より
さらに深い次元にある
集合的無意識というものがあります。
元型は、集合的無意識次元のもので
目に見えないし、
架空の話のように
聞こえるかもしれませんが、
それは確かに存在し、
多くの場合、
自身の人生だけでなく、
世代を超えて、
家系でその原型の影響を
受けていることがあります。
どの原型もそうですが、
それは常にプラスの面と
マイナスの面があり、
家族が複雑な場合は、
元型のマイナスの面の影響を
受けていることが多いです。
このグレートマザーは
村社会という歴史を持つ
日本では特に
プラスの面ではなく
マイナスの面が働いています。
村社会では、
村八分にならないよう
みんな足並みをそろえ
そこからはみ出すことなく
生きることを強いられ
村人の監視の目が光り
もしはみ出したら、
辱めを受けることがありました。
それは、グレートマザーの
マイナスの働きと同じです。
グレートマザーは
プラスの働きの時は
子を慈しむよい母ですが、
マイナスの側面になると、
日本の神様で言う
鬼子母神のように
子供を食っちゃう母の働きとなり、
母親(内的母)の言う通りに
しておかなかったら
母親の傘下に居続けなかったら
ダメな子とし
子供の自立や
主体性を育てていくことを
良しとせず、
辱めを感じさせることもあります。
ここでいう母親とは
実際の母親というより
集合的無意識次元を住処とする
グレートマザーの
働き、力、エネルギーのことを
言っています。
いい人の生きづらさには
こうした集合的無意識次元にある
グレートマザーの
マイナスの面にも
影響を受けているのが
この生きづらさの根本です。
自信過剰と過度に自信が無いのはどちらもグレートマザーの働き
ここで、自信のある無しと
グレートマザーの
関係で少し見ていきましょう。
自信過剰の場合も
過度に自信がなく
自分を卑下している場合も
どちらもグレートマザーの
働きを受けています。
そして、自信が無いということと
社会的成功は関係ありません。
自信過剰の場合も
過度に自信がない場合も、
どちらも社会的に成功しても
なんだか虚しさを
感じることもあります。
周りの評価や
重要な他者に認められるために
一生懸命やるのだけども
どれだけやっても
なんだか生きづらい。
それは、
グレートマザーという
集合的無意識のマイナスの面の
傘下で生きることの
苦しみとユング派的には
見られます。
どうしたら生きづらさからから抜けていけるのか。
こうした生きづらさから
抜けていくのは、
カウンセリングを
受けられるのをお勧めします。
カウンセリングの中で、
心の中にある
自分を攻撃してくる存在が
小さくなっていきます。
過去に人との関係で
傷ついたことがあるから、
人に頼ることだけは
したくないとお感じになる
かもしれませんが、
一人で踏ん張ったり
一人で頑張ることは
もうじゅうぶん
されてきたのではないでしょうか。
今まで本当に頑張って
もう疲れてヘトヘト だと
お感じでしたら、
こうしたお悩みの背景を理解している
援助職者のところに
少しお立ち寄りになってみてください。
心から応援させていただきます。
最後までお読みいただきありがとうございます。
無料メルマガ
自己を肯定でき
人目が気にならなくなる方法
プレゼントを受け取る!
無料講座をご覧いただくと、「人目が気になることや、虚無感と自己愛の傷つきの関係」「自己愛の傷つきがあるとどんな心の構造を持ち」「その心の構造が普段の生活でどんな生きづらさをもたらすか」「そこから回復する方法」が見えます。
購読後、メルマガ解除を希望される場合はメール末尾のURLから簡単にできます。
フォームにご入力いただいた個人情報は、暗号化通信されますのでご安心ください。