こんにちは、心理カウンセラー諏訪田(すわだ)佳代です。
今日は私たちが生涯必要とする
甘えについて見ていきましょう。
「甘え」という言葉が、
最近「甘やかしや甘ったれ」といった
ネガティブな意味合いで
使われることが多いですが、
「甘え」は空気のように、
人が生涯必要とするものであり、
心の安心や・幸せ・豊かさに
繋がるものです。
甘えたいけど、
人に甘えることに
安全を感じない、
もしくは
相手に受け入れられるか
不安を感じる場合
普段相手に気を使ったり、
相手のために
一生懸命動くことが
多いかもしれません。
相手のためにしてあげる側は
すごく頑張れるのに、
してもらう側・甘える側は、
願望はあっても容易ではない
というお悩みについて、
この記事では、私たちが
生涯必要とする甘えについて
本当は甘えたいけど、
甘えられないその理由や、
甘えられなくなることと
幼少期の養育者との会話、
甘えとあまのじゃくの関係を見ていき、
どのようにしたら
甘えやすくなるかの一助に
していただければ幸いです。
Contents
「甘え」と「甘やかし・甘ったれ」の違い
甘えたりなんかしちゃいけないと
今日誤解されることも多く
そのことが生きづらさに
つながりかねないため、
先ずは、「甘え」と
「甘やかし・甘ったれ」の
違いについて、
軽くみてみましょう。
「甘え」は本来特別に親しい
二者関係を前提とする。
親子関係、夫婦関係、
友人関係など、
相手あっての甘えである。
一方が相手は自分に対し好意を
持っていることがわかっていて、
それにふさわしく振舞ることが
甘えることである。
ここでいう、
わかっているというのは、
体験されて身に覚えがある
ということであり、
知的に認識されている
ということではない。それに対し、
甘えの構造 土居健郎 著
最近使われている甘えは、
二者関係における
好意有無が前提となっていない、
一方的な甘やかしや、
一人よがりの甘ったれのような
意味合いで使われていることが多い。
相手に甘えるふりをさせることが
甘やかしであり、
反対に自ら甘えるふりを
してみることが甘ったれである。
甘やかしや甘ったれではい、
良質な甘えは、人が
生涯必要とするものであり、
それなしに、一人で
生きていこうとするのは
とても困難なことです。

甘えることが容易でない・人に迷惑をかけたくない、その理由
甘えることが容易でない理由の一に、
土壌、つまり育った環境で
甘えられなかった体験が
あるかもしれません。
豊かな土壌となるのは、
養育者が子供に情緒的に返し
良質な甘えの中で育てることで、
それは、めんどくさい時も、
ごまかさず、
子供と向き合ったり、
手間をかけることですが、
家事や介護、仕事に
追われる日々の生活の中で、
様々な理由から、
子供が望むほどに
提供されないことがあります。
そうした環境で、
子供なのに、
どこか子供でいられない、
親も大変そうだから、
親に迷惑をかけないように
自分で頑張らなきゃとか、
子供ながら家族の中で
大人のような役割や、
両親の仲裁役を
担っていたりして、
甘えられず
人一倍頑張ってこられた
かもしれません。
その役割に馴染みがあり
甘える側になるのは
容易ではないかもしれませんが、
後半にも述べますが、
大人になってからも
この土壌は豊かに変えて
いくことができます。

すねたり、ふてくされて、甘えられなくなるような親子の会話
甘えられなさを作る
要因の1つとなり得る
幼少期の親子の会話を
フィクションで見てみましょう。
具体例1:拗ねるという裏なりの甘え
子供:「ママ今日私の誕生日お祝いしてくれるの?」
母親:「今日はママ仕事で忙しいから、週末にお祝いしましょう。」
子供:「どうして、妹の誕生日の日は、平日でもその日にお祝いしたじゃない」
母親:「お姉ちゃんなんだから、わがまま言わないの」
子供:「いつも妹ばかり・・・」
母親:「仕方ないわね。じゃケーキだけ今日買って帰るわ。」
子供:「何よ、もういい!」
母親:「どっちなのよ。ケーキ買うって言ってるのに。あなたはいつもあまのじゃくなんだから。」
最後、「もういい」という「すねる」発言を
子供はしましたが、
自分の甘えの当てがはずれて、
つまり母親の答えにがっかり、
傷ついて、相手に背を
向けたのですが、
どこかで分かって欲しい
という含みがあり、
表立っての甘えではなく、
すねて裏なりに甘えたのです。
具体例2:情緒のない会話
子供:「ねぇママ、今日はパパ帰り遅いの?」
母親:「そんなことママにも分からないわよ!!!」
子供:「ごめんね、ママ・・・」
母親:「いいから、おやつ食べてなさい。」
…翌朝…
子供:「ママ、今日駅まで送ってくれるの?」
母親:「そうよ、早く乗りなさい。」
この会話では、先ず、
パパはいつ帰ってくるか
という質問をしただけで、
ママは突然怒り、
子供には訳が分かりません。
そして、その後、
おやつという甘やかしで、
誤魔化し、子供との対話を
無いことにします。
そして翌朝の会話では、
情緒はありませんが、
怒ることなく返しています。
こういった会話が
繰り返されると、
何がよくって何がダメなのか、
何を言ったら
怒るのか怒らないのか、
子供はさっぱり
分からなくなるどころか、
親に甘えず、
一人で頑張ろうとすること
にもなりかねません。

甘えとあまのじゃく
あまのじゃくは、
「心の拗ケタル者」という
語源から見ても、
拗ねる(すねる)というのは、
屈折した甘えの一表現であると、
児童精神科医の
小林隆児氏は言っています。
先ほどの具体例の会話は、
あくまで例えで、
他にも甘えられないと
感じる体験となる会話は
いくつもありますが、
安心という基盤がなければ、
子供は次のような
あまのじゃくの態度を
取ったりします。
母親と離れていると
心細くなって、
甘えたそうな
仕草を示しても、
いざ両者が接近して
子どもが母親に
抱かれそうになると、
とたんに回避的態度をとる。
このように、
あえて人の言行にさからう
あまのじゃくの行動には、
多くの場合、
甘えのテーマが隠れています。
甘えたいという欲求はなくならない
甘えたいという
欲求はなくなりません。
私たちは生涯良質な
甘えというのを求めるものです。
私が心理療法に
魅力を感じる一つは、
こういった
幼少期の体験からくる
生きづらさがあったとしても、
カウンセリングの中で、
拗ねるやあまのじゃく
といった甘え方から、
安心して甘えるということを
体験していくことで、
人生の見え方や、
パートナーや家族との関わり方が
変わってくることです。
そうした変化は、内面の変化で
キレイな洋服を買ったり
ネイルをしたりというような
外的な変化ではありませんが、
充足感や豊かさを感じさせてくれる
お金では買えない宝物かもしれません。
ご参考にしていただければ幸いです。
最後までお読みいただきありがとうございます。
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