こんにちは、心理カウンセラー諏訪田(すわだ)佳代です。
こんなお悩みがあったとしましょう。
『周りからどう思われて
いるのか気になり、
気持ちがいつも不安定、
だけど、もし痩せれたら
特別な人になれるようで
自信を感じられる。
10代の頃はずっと
食べずにいれたのに
年を重ねるにつれ
食べずにはいられなくて、
過食しては
罪悪感で嘔吐する。
そのループから
抜け出せなくて
本当に苦しい。 』
こうした食べることにまつわる
お悩みは、
自己愛と大きく
関係しています。
自分のことを
健康的に好きか、
卑下でも誇大でもなく
等身大の自分を好きでいるか
と関係しています。
万能的な理想の
なんでもできる自分を
ずっと追い求めて、
それになれなかったら
価値がないように
感じるのは、
これは個人個人の
性格の問題ではありません。
それは心の構造が
関係しています。
つまり、食べることにまつわる
お悩みをお持ちの方が
同じような考えを持つのは、
それは心の構造が同じだからです。
この記事では
そのこころの構造体について
見ていくこと、
その構造体はどんな感情を
人にもたらすのか、
そこから抜け出すには
どうしたらいいかなどを
見ていきましょう。
食べることと自己愛の関係
子どものころ、
自分らしく成長することを
応援されなかったり、
安心安全な環境で
たっぷり養育者に
甘えるという
体験が足りなかったら
心の土台の不安定さにつながり、
自分って何なのか
自分の存在を信じれなかったり、
自分のことを価値のないように
感じやすかったり、
なにより、
常に自分の存在の良し悪しが
自分ではない他者の反応によって
もしくは、他者の評価によって
決まるところに
生きづらさがあります。
根本のところで
自分のことを健康的に
好きではないため、
何か特別なイケてる
人から認められると
思うものを見つけると、
これが私の道だと
突っ走りたくなります。
それがダイエットで
拒食であったりします。
ですが、
ダイエットに走ることは、
躁転と言って
健康的でない気分の上げ方で、
それは早晩
必ず下がります。
拒食症はスカッとすっきり
優越感がある状態ですが、
我慢していい子をやっている
ことへの反動で
今度は過食になり、
罪悪感から嘔吐して
一瞬スカッとするけど
すぐ落ち込む
というこのループが
繰り返されます。
拒食ですっきり爽快感か
嘔吐で爽快感か
どちらも共通は
爽快感を求めています。
爽快感を求めさせる
こころの構造って
どんな構造なんでしょう、
次に見ていきましょう。
過食の心-こころの退避場所
相手にどう思われているのか
気になったり、
いつも相手の顔色を伺ったり、
相手の視線が気になるというのは、
性格の問題ではありません。
それは心の構造がさせていることです。
自分らしくなることを
応援してもらったり、
安心安全な環境の中で
たっぷりと甘えれるという
環境がなかった場合に、
「白と黒だけじゃなくて
グレーもあるよね。」
「あの人には
良いとこもあるけど
悪いとこもあるよね。」
と思う心が作られません。
そのため、白は
躁転してイケイケの自分で
痩せている自分、
そして、黒は
痩せていなければ
価値がない自分と
一気に真っ黒になり
白と黒の間というものが
心にありません。
グレーもあるよね
と思えるようになることの
道のりには
自分が向き合いたくない
感情がでてきたりして
心に痛みが伴うため、
その退避場所として
自分自身に優越感を
もたらしたり
スカッと爽快感を
感じさせたり、
万能感を感じさせようと
どんどん応援する
場所(構造)が
心にできます。
その構造が、
イケイケアゲアゲの
スカッと爽快感を
求めたらいいんだよと
感じさせてきたり、
もっと痩せなくちゃと
ささやいたり、
誰かと仲がよくっても
一度許せないことが起きると
バッサリ関係を切ったり
本当に欲しいかは分からないけど
人が持っているものが
欲しくなったりさせるのは
すべてこの構造から
くるものです。
その構造は、
自分がイケてるという
かりそめの部分を
肥大化させて
弱みや傷つきを
見ないようにする
退避場所です。
一度その構造(場所)が
心にできると
そこには嗜癖性があるので
一人で抜け出すのは
ほぼほぼ無理です。
ではどうしたらいいのでしょうか。
今、白か黒かの心で
苦しいから
白と黒をつないでくれる
援助職者とつながってみる
ことが1つです。
抱えておくものが
しんどいものを
最初はカウンセラーなどに
抱えてもらいながら
心を作っていくことが
生きやすさにつながる
本質的なことです。
過食とカウンセリング
フィクションの物語で
どんな対話が
カウンセリングで
行われるのか
見ていきましょう。
この事例は、「食の精神分析的
アプローチ」の本を参考に
したものです。
25歳のA子は、
過食嘔吐を数年続けており
親の勧めで
入院することになったが、
本人はどうせ自分の苦しさや
本当の気持ちを
分かってくれる人なんていない、
入院の間だけ
いい子にしておけばいい
というような気持ちでした。
過食嘔吐は入院後もしており
A子の部屋は
その匂いでいっぱいでしたが、
嘔吐したことを聞いても
本人はしていないと
答えていました。
そしてA子の口癖はいつも
『しかたない』と
言っており、
いづもどこか不満げでした。
そしてカウンセリングが始まり、
『何もやる気がしない。
過食時の感情など
考えてもしかたない』と
考えることを避ける
態度が続いていました。
カウンセリングの枠組みは
しっかりしていて
壊れることがないと
感じ始めたAは、
『病気がよくなるかどうか
先生が教えてくれない。』と
不安を訴えるようにりました。
そしてAは微笑みながら
過ごすことが多くなり、
『自分を許せるようになった』と
言いました。
どこかそれを情緒的に
感じれなかったカウンセラーが、
どんな自分を
許せたのか聞いても、
思い出せないという応答で
カウンセラーは、
Aの言葉を取り入れたいが、
Aと感情的に
触れあえていないように
感じることを伝えました。
次の回では、
『いい自分と
悪い自分がいて、
先生に指摘されて気づいた。
でもどうしたらいいのか
分からない。苦しい。』
というに本音が
少し見えてきました。
そして、カウンセラーに対して
『先生とは話しているけど
悪い方に向かっている気がする。』
のように発言し
カウンセラーは
次のように伝えました。
『確かにあなたは
苦しみの中にいて
出口がないように
感じているようです。
でも一方で私は以前より
あなたと触れ合えて
いるように感じます。』
するとAは驚いた表情をし
『自分では気づかなったけど
以前は先生の言っていることに
沿うように話していたと思う』
と言いました。
そうした2人の間で
共有した理解が持たれ、
次第にAから
カウンセラーに
向けられるようになった情緒は
怒りの情緒でした。
Aは面接で沈黙するよになり
イライラ口調で口を開きました。
カウンセラーは、
『沈黙している間、
あなたが怒っているように
感じました。
それはこのところ
私に向け続けている
感情と同じようです。
きっとそれは、私があなたに
言葉をあたえないことで困惑し
ひいては怒りを
感じているのでしょうね。』
と言うとAは即座に肯定しました。
Aが向けた怒りを
そのまま受けめようとする
カウンセラーの態度に
Aは安堵を示しました。
こうしたやり取りを
何度も繰り返していき
Aが『先生は諦めない人だ』と
感じたことが語られ
カウンセラーに対し
安心を感じることで
心の安定にも
つながっていきました。
まとめ
事例では、
結果、めんどくさいことを
言っても諦めない、
自分の心の土台が
丈夫になっていくために
ずっとそこにいてくれる
自分が求める情緒を
返してくれると感じる人との
関係ができたことで、
心の構造の
白と黒がつながっていくこと、
につながり、
結果いけてる自分を
求めなくても大丈夫という
土台の安定に
つながっていきました。
そもそもこの構造が
生まれ持った気質ではなく
つまり遺伝ではなく、
養育者との関係や
育った環境によって
できるもののため、
育っていきた環境の中で
誰しもが必要とするけど
足りなかったもの
足りなかった情緒
安心や安全
悲しい時いつでもその人を
頼りにできるという気持ち
そうしたことを持つのが
本質的なことです。
過食嘔吐がなくならない、
だけどなんとかしたいと
お感じでしたら、
あなたがいいなと感じる援助職者に
つながってみてください。
最後までお読みいただきありがとうございます。
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